14・572m
  寺前城跡/はめむろ

358  深谷〜城山 (大河内町物語その1)


「この物語は一枚のパンフレットから始まった」。

為信から南小田へ抜ける道を「お嫁さんロード」と言うそうな、どんな道かと歩いて見れば、

始めはなるほど明瞭だったが終盤全く不明になるも、着いた峠に立派な石室祠。

先ずは尾根を南下して、二ヵ所の城跡探索縦走。




神河町(旧 神崎郡大河内町)重行地区集会所P〜南小田への破線(お嫁さんロード)〜

峠〜尾根南下〜660m〜671m〜△深谷(ふかだに)544.0m三等〜

572m(寺前城跡:はめむろ)〜497m〜城山(寺前城跡)〜最明寺。



◎所在地 : 神崎郡神河町寺前駅北山塊主尾根(市川と小田原川に挟まれた山塊)

◎地形図 : 2万5千図   『寺前(てらまえ)』  『長谷(はせ)』

◎山行日 : 2005.11.13 (日) 晴れ〜曇り       

◎山行条件 : 歩き/単独      Age=58

◎コースの見所 : @林道終点浮彫石仏道標toお堂  A峠の石室  B鉄塔下からの大展望 

             C497mからの展望  D城山(城跡)

◎走行距離 : 往路 寺前駅53.0km @58.5km  往復 114.5km

          播但道 神崎南LP往復(750円×2=1500円)



自宅発(5:50)〜加古川・姫路B/P〜播但道〜神崎南LP〜R=8〜R=404寺前駅(6:46)〜

1・自転車デポ(6:50)〜2・重行集会所P(7:07 発7:26)〜3・林道終点(7:52 発8:00)〜

丸太橋谷川右へ渡る(8:02)〜谷川左へ渡る(8:10)〜4?・炭焼き窯跡〜

5・峠(8:30 探索 発8:46)〜6・(8:50)〜7・(9:00)〜8・(9:14)〜9・(9:25)〜

10・鉄塔(9:30 おやつ・展望 発9:53)〜11・(10:03)〜12・(10:10 発10:17)〜

13・深谷544.0m三等(10:20 発10:26)〜14・572m寺前城跡/はめむろ(11:00)〜

15・(11:25)〜16・497m(11:40 展望 発11:45)〜17・城山/寺前城跡(12:00 

おにぎり発12:18)〜奥の院(12:37)〜18・最明寺(12:43)〜1・自転車デポ(12:56)〜

自転車で走る〜2・重行集会所P(13:13 発13:28)〜往路〜自宅(14:56)



先月(10月15日)雨の中を歩いて砥峰高原の「砥峰高原自然交流館」に立ち寄った時、パンフレットラックを見て一見目を惹く物があった。それは1枚だけ残っていて軽く目を通して面白そうなので他のものと合わせザックに納めた。家に帰って広げて見ると『これは宝物だ!!』と直ぐに思った。「播磨風土記の里 大河内町の風土資産」の見出しで 大川内町を6分野に分けて紹介していた。大きさは新聞2面分で両面印刷。

(表面)
T.「地圏風土」
「山の里大川内町が誇る町内10名山」
@千町ヶ峰1141.3m A暁晴山1077.3m B平石山1061.2m C夜鷹山1056.0m D峰山高原1037.9m E高星山1016.4m F砥峰972.2m G藤ヶ山941.9m 
H高峰725.7m I城山497m。 地図にポイント書き込みあり

「大河内町内の地名とその由来(1)大字地名」として15地名

「大河内町内の地名とその由来(2)大河内町内のルーツを探る」として10地名

「大河内町内の歴史を彩る3巨岩伝承」 地図にポイント書き込みあり

「大河内町の山と川の造形、今話題の2奇岩」 地図にポイント書き込みあり

U.「水圏風土」
「乱れ飛ぶホタルを育む、大河内町の2河川」 地図にポイント書き込みあり

「大河内町音頭に唄われた大河内町内の4名瀑」 地図にポイント書き込みあり

V.「気圏風土」
「太平洋と日本海を同時に遠望する日本の屋根、2名山」 
@千町ヶ峰:北と南の千町のかなたに広がる二つの大海。古くより知られた播磨の国の名峰であり、・・・・。 A伊吹山:日本列島の狭窄部、滋賀県・岐阜県境にそびえる山頂からは、やはり二つの海を望むことができる・・・・。圧巻は「千町ヶ峰からの360°風景」の絵(もちろん手書き)では東の中心に空木岳と農鳥岳が在って空木岳から北へ駒ヶ岳・御嶽山・乗鞍岳・大日ヶ岳・槍ヶ岳・部子山・別山・白山・大日山・日本海・東床尾山・日本海・妙見山・氷ノ山・三室山・大山・那岐山。東の中心に空木岳と農鳥岳が在って農鳥岳から南へ・塩見岳・荒川岳・武奈ヶ岳・蓬莱山・竜ヶ岳・雨乞岳・愛宕山・笠取山・具留尊山・瀬戸内海の上に明石海峡大橋・譲葉山・太平洋・高越山・剣山・星ヶ城・工石山・琴平山(象頭山)・石鎚山・冠山・阿佐山・那岐山と記してある。(誰が何時どのようにして山座同定したのだろうと首をかしげる)

「大山(だいせん)、瀬戸内、四国まで一望、大河内町の見晴台7つのビュウポイント」
@千町ヶ峰:播州のほとんどの山々を確認することができる特に氷ノ山に沈む夕日が美しい。太平洋と日本海を同時に遠望できるのはこの千町ヶ峰と伊吹山のみである。(私の知るところでは東山(波賀・一宮町)が“両海の山”とも言われて日本海と瀬戸内海が同時に見えるらしい)

A暁晴山:南・瀬戸内海、赤穂及び中国地方の最高峰大山や氷ノ山も見える。

B平石高原:南・東瀬戸内海から四国、神崎郡が一望できる。

C太田ダム:天気の良い日には淡路島から四国も見える。

D高峰:南・東瀬戸内海が見える。さらに四国、神崎郡も一望できる。

E城山:南・東瀬戸内海が見える。

F東山:大河内中学、千ヶ峰が見える。 ※いずれも地図にポイント書き込みあり

「関西圏を代表する2大リゾート地」 
地図にポイント書き込みあり

W・生物圏風土」

「ケヤキとツクバネガシ、町内の2大巨樹合体木」
「ツクバネガシとフジキの群生林の中でも光る県下隋一の2大巨木」
「大川内町の神仏が鎮座する緑深き6叢林」地図にポイント書き込みあり

X・歴史・文化圏風土」

「大川内町の歴史と文化を今に伝える8文化財」 地図にポイント書き込みあり

「山里の秋を彩る大川内町の3大秋祭り」 地図にポイント書き込みあり

「かって新野の田をうるおした全国1、揚水水車18基」 昭和初期の地図にポイント書き込みあり

「上月平左衛門(一族)の偉業をしのぶ町内外の7史跡」 4箇所地図にポイント書き込みあり

「一本の道が仲人だった・・・大川内町のお嫁さんロード3旧道」 地図にルート書き込みあり
@上小田〜一宮道  A為信(ためのぶ)〜南小田道  B川上〜福知道。
(A為信〜南小田道の片側を今回歩いた)

「大河内町に伝わる平家落人伝説5話」 地図にポイント書き込みあり

「病快癒のご利益てきめん、古くより脈々と伝わる3石神仏」 地図にポイント書き込みあり

「かって姫路、神戸からも仲買人があつまった町内に2大市場」 地図にポイント書き込みあり

「神崎郡を代表する石造物(1)地蔵」 近世以前に建立された大河内町の守り地蔵2体
地図にポイント書き込みあり

「神崎郡を代表する石造物(2)五輪塔」 ひっそりと道傍らに眠る中世の五輪2基
地図にポイント書き込みあり

「神崎郡を代表する石造物(3)法篋印塔」 5箇所の内2箇所地図にポイント書き込みあり

「古より道行く人々に方角を示し続けた大河内町内の道しるべ地蔵3体」
地図にポイント書き込みあり

「大河内町内の滝と修行者を見守る不動明王像、役行者像3体」 地図にポイント書き込みあり

「大河内町内の道路建設の歴史を伝える3石碑」 地図にポイント書き込みあり

「大河内町とっておきの昔話4話」 
地図にポイント書き込みあり

Y・「活力圏風土」

大河内町内の新名所、充実の3施設」 地図にポイント書き込みあり

「関西の釣り人を魅了する大河内町内の鮎釣り5ポイント

(裏面)
「播磨風土記の里 大河内町の風土資産マップ」の見出しで新聞2面分の大きさの地図に主なものの所在地が記してあり、地図の空欄には62ポイントの写真が載せてある。

※興味の有ること満載で私の『宝物』に加わったわけだが平成16年1月1日現在の人口や世帯数も記   してあることから神崎町との合併(今年11月7日)するにあたって作成されたのかも知れない。



先ずは「大川内町のお嫁さんロード3旧道」の内「為信〜南小田」の道を皮切りに歩き始めることにして,、心ウキウキ心配半分で家を出た。いつもながら播但道から見る七種薬師・七種山・七種槍が険しくも美しく尖がっている。神崎南LPで下りて自転車デポ地に決めていた寺前駅に着いた。一度は自転車を降ろしてデポに掛かったが下山地点になるだろうお寺を見ると駅では車へ戻る遠回りになるのでもう少し先にデポすることにして、自転車を積んで走った。そして神社先の消防ポンプ庫にデポしたがこれが後でラッキーを呼ぶきっかけになった。 1・自転車デポ(6:50) 

私の持つ地形図では為信地区から峠へ向かって道が書かれている、車を止めて見て見たがそのような道が本当に在るのか地形からして合点が行かずもう少し先へゆっくり走った。峠への道をたずねたくも人影見えず・・・そんな時、先方から小脇に新聞を抱えた人(70歳位男)が向かって来ていて『長谷の方から山越えで南小田(みなみおだ)へ行きたいのですが』『もうすこし先から川上を通って・・・』どうやら「車で砥峰高原を越えて」と思われたらしかった。

『そうでなく歩いて山を越えて・・・』『それやったらこの先500m位の所から林道が上がっていて2km位の所が終点で石仏が祀ってありそこから峠を越して行ける。“みなみおだ”は前は“みなみようだ”と言うとった・・・』石仏が在ると聞いて『その道なんです』“やったー”と思った。『昔は草刈もしていたけど今では誰も歩いていないと思うから草や木が生えて歩けるかどうか分らんから鎌か鉈でも持っとらんと・・・』 “みなみようだ”は私も「大坂周辺の山」でルビを打って紹介されていたから直ぐに理解できた。

お礼を言って走っているとその道が在り、運良く道(R=404)の右横に「重行集会所」が在りそこに車を置かせてもらった。 2・重行集会所P(7:07) 車から出るとヒヤー!!初冬を感じ朝霧が漂っていた。冬支度で車を離れた。 発(7:26) 完全舗装の林道入り口の大きなイチョウの木が見事に色付いていた。緩く上っていると左が開けて峠は見えないがその左右の山が見え、特に北側に残る自然林の色付きがうつくしかった。やがて左下前方へ下る舗装路が在って新しい石標に「大神・小松」と彫られ矢印で導かれていた。下の集落は為信と思うが・・・名字なのか?)。 (7:35) 上り切ると地道で横ばいになり、左にデッカイ砂防ダムが出来ていて集落と谷筋に雲海が出ていた。
15
13・深谷・543.8m
10
@
最明寺・18
12

17・城山・寺前城跡

16・497m

11.571m
8・560m

峠・5

2・重行集会所

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上り始めて間もなくの展望

643m
 ↓ 
しばらく続いた横ばいも次第に傾斜が増して行き、橋を渡ると更にまして左に右に曲がって林道終点に着いた。(旧道は橋を渡って直ぐ谷に沿って上っている形跡が在った。(旧道は砂防ダム建設によって変更または打ち消されたかも知れない)車が数十台も置ける広場になっていた。 3・林道終点(7:52) あの道標は何処にどのような形で建っているのか・・・最奥部へ着くとそれは直ぐに見つかって右横に石垣の上にお堂(一間半×一間)が建っていて中に大日如来が祀られ、清々しい水とシキミが供えられていた。道標(高さ45×幅15cm)に戻って道しるべを見ると「左小田原 右氏神」と彫られていて天には浮彫地蔵が彫ってあった。 
(3)林道終点に建つお堂
(3)林道終点に建つ道標
お堂の右の谷川沿って奥へと道が付いていて丸太組橋が架かって右の谷へと入っていた。道標の右氏神とはこのお堂のことなのか?しかしお堂には大日如来が祀られているから神社ではない・・・頭をかしげながら道標の左から峠へ向かって上り始めた。 発(8:00) ※後日ふと気が付いたが右氏神とは、お堂先の丸太組橋を渡った谷の奥の何所かに氏神さんが祀られている可能性が高い。

太い杉林に付いた道は『なるほどこれがお嫁さんロードか』と思うかなり明瞭なもので緩く上って行った。谷川に出て丸太組の橋を渡る。 (8:02) 冬物の手袋が暑く感じられ夏物に替える。ミツマタが群生していて白い蕾を付け、右手に畑跡だろうか一段当たりかなり広い平地が石垣によって何段も保たれていた。そこに生えている杉の樹齢からすると60〜70年は経っていたから畑はそれ以前から放置されていたのだろう。もしかすると平家の落人伝説があるから落人の住居跡も在ったかも知れない。小尾根を回りこんで右の岩盤谷から流れる細流を渡る。 (8:10) 本谷は左下でガレガレの谷になっていた。

破線は谷に付いているが古来の道は何処に付いていたのだろう。山肌の傾斜がきつくなって道は曖昧になっていった。谷を突き詰めた所に大きな炭焼き窯跡が在った。 4?・炭焼き窯跡で道は消えた。左か右か・・・左右の尾根に向かって踏み跡らしきもの在り、「獣道かも知れない」と思いながら左を辿る。急斜面を横へと緩く上り本谷へと向かう。どうやら「人が歩いていた道」と思えるようになったが後2冬も越せば消えてしまうかに思えた。

やがて本谷に出るとガラも消えてやや幅広い谷になって右寄りの谷を選んで上れば自然林が見えてきてピッタリ峠に立てた。 5・峠(8:30) 早速峠には付き物の石仏を探しに入る。一見「何も無い」かに見えたが南小田側に下った所で地表を掘り下げて、何処から寄せてきたのか大きな石で囲まれた屋根なし石室(全奥行き3m間口1.?m)が在って御大師様と思う小振りな石仏が奥の天板付きの石室(H80奥行き110cm)に祀られていた。台座の左に「為諸人」右に「一番善通寺」と彫られていた。南小田側は植林帯で少し下ってみると傾斜が緩いせいか道が残っていた。
石室の写真を撮っていると突然血の気が引くトラブルが発生!!オートモード・マニュアルモード共に液晶モニターに画像が出なくなった・・・操作ミスかと思ってあれこれチックしたがトラブル解消せず・・・幸いにもステッチアシストモードが生きていて(動画も)以後これを使っての写真となったが胸を撫で下ろして峠を発った。 発(8:46) 左植林右高木雑木(中ほどで入れ変わる)の界に樅の木もたくさん生えている中を上って尾根に乗った。 6・(8:50) 東の648mへ向かいかけたが倒木が出始めそうな雰囲気になってそれを断念して「深谷」へ向かって引き返した。

短急下りの界は左が植林帯右は嬉しい自然林、尾根は切り開かれたのか難なく歩け、右太い赤松の間から峠の北に在る776.6m△南小田・T(TとUが在る)とそこへの自然林が色付き始めてキレイだった。(南小田の西面は播但道からも見えるが見た目ははげ山になっている)尾根は自然を堪能させてくれた。 7・(9:00) とは言っても先には苦手な下りポイントが待っていた。今日はあれこれ考えず、“ここ”と思った所からエイヤーで下った。結果はグッド。うまく尾根に乗れて上りきる。 8・(9:14) 右桧林の植界を下ると太い萱?の木が生えていた。

左の自然林は太い赤松が主体で頭上をヒヨドリやエナガが渡って行く。続いた横ばいから上りに掛かると歩いていた道?は巡視路になって左山肌へと流れ込んだ、もう少しで誘いこまれる所だったがそれと別れて尾根を上った。 9・(9:25) ヤブっぽくなるも進んでいると前方が開けていきなり鉄塔が見え、鹿網ゲートを潜ってそこに立った。実は私の地形図は現在の改訂版より古いのを使っている関係で送電線のマークが入っていない。 10・鉄塔(9:30) 

暁晴山のアンテナも視程に入って夢前町との境界尾根が目を惹き、△南小田が「早く来てね」と言っているようで、辿って来た尾根の右肩に達磨ガ峰が覗いていた。川向こうの大きな尾根には入炭山も同定できた。反面、南小田小学校の在る所の旧道を消防自動車が16台連なってサイレンや鐘を鳴らしながら走っていた(秋の防火週間)。 発(9:53) 左桧の幼木右潅木の界を行き 11・(10:03) 狭い範囲でヒカゲツツジが生えていて再び左(東)が開け、R=404沿いが見え、私の車が見えないかと探したが見当たらなかった。天狗岩が完璧に見え達磨ガ峰や△上生野も頭を出していた。

植生が入れ替わってやがてすばらしい岩稜尾根になり、ヤブ椿の群落尾根になった。緩く下ってデコボコと進んで 12・(10:10) 前方が全開した。左遠方にポッカリ飛び出る双コブピークが最終ピークの城山かと思ったが余りにも遠いので別の尾根山か・・・確認するとやはりその山が城山だった。この先間もなく三角点が在る事を願って発った。 発(10:17) 右桧幼木帯と自然林の界を行くがヤブっぽくサルトリイバラが出て困った。また鹿網が張られ、それを補助する針金が突如眼前にも出て顔や体をぶっつけそうになって何度もヒャッとしながら進んで、小高い丘で草に覆われた「深谷」の石標に出会えた。 13・(10:20)
    (5)峠が見えてきた所                     峠の石室・南小田側から
(12)からの展望
城山
 ↓
(16)
497m
 ↓ 
鹿網の北側を歩いたが切り開きは無く、雑木帯の中を擦り抜け、ある時は網に沿ってイバラと時折でる針金に悩まされた。だだっ広いコルに着くと少々の倒木が出た。網を潜れる所が有ったので網を潜って桧の幼木帯側を歩いた(この方がイバラも少なく歩きやすかった)西面の桧の幼木の上が開け絶えなく展望があったが後数年もすればその桧が生長すると鉄塔から (16) 地点まで視界が塞がってしまうだろう(展望岩からはその後もしばらく展望が利くと思う)コブに立つと,南の谷に在る「大池」がやっと見え、辿って来た尾根もほぼ視程に入り△南小田が美しく飛び出ていた。

短急登で 14・572m(11:00) ここから東面が桧の幼木帯(視界が得られない高さ)に変わって展望は無し。風土資産マップでは「寺前城跡・はめむろ」と記して在ったがそれらしき形跡を全く感じられなかった。「はめむろ」とはこれ如何に・・・なにか謂れか物語が有るのだろうけどさっぱり分らない。右潅木帯の界はヤブとイバラで覚悟を決めて網に沿って切り開きながら下っていると植林上が開け (16)497mと城山が見えた。ややヤブが解け始めた所で網を潜って植林側へ入って下る、やがて道が出て楽な下りとなった。間もなく大きな岩(展望岩)があってその上に上がってしばらく城山方面を眺めながら休んだ。 (11:18)
展望岩の上から
(16)
 ↓
城山
 ↓
相変わらず道(作業道だったかも・・)が付いていて下って行くと右は太い杉林になり視界も無くなりコルに着いた。 15・(11:25) ゆる上りから次第に傾斜がきつくなり、やがて左(東)が伐採地で全開になり展望を楽しみながら上る。 16・497m(11:40) 北に (14)572m がドッカリ座していてその右肩に達磨ガ峰とその手前に天狗岩が見えた。入炭山の在る稜線の上には上生野が頭を出していた。 城跡に近いがそれらしき形跡無し、風土資産マップではここが城山と記している。 発(11:45) 

少し進むと右桧林左高木雑木帯になり、ほぼ横ばいの尾根を行く、城跡の形跡無し・・・と思って間もなく明らかな深い堀切が出た。 (11:54) そこを通過すると郭が出て、北面の一部に石垣跡が見られただけで本丸に立った。 17・(11:55) 30坪?位の広さでコナラ主体の高木雑木が生えて展望は無し。何時の物か10cm角の白ペンキも剥がれた杭が木に立て掛けられていた。多分「寺前城跡」と書かれていたのだろが文字の跡もわからなかった。おにぎりを食べて下山開始。 発(12:18)

麓のお寺に下ると思いながらも何処に下り付けるか・・・南の尾根に付いた踏み跡を下った。広い郭が2段に在って下の段に立つ鉄製角杭に「寺前城跡」「大川内町教育委員会」と書かれていた。その近くに鉄製のポール(5m位)が立っていて幟かなんか立てていたのだろう。
下の段(郭)を南から見る
←角杭
下段の郭からは南の展望があったかに思うが・・・いよいよ下り始める。 (12:23) 桧林で粘土質と急斜面のため良く滑った。「下り切りか」と思う頃四国八十八ヶ所の巡礼道と例の石室が出た。右へ下るか左へ下るか・・・右へ下ると板囲いの無いお堂が建っていて、不動明王が三体祀られ奥の院になっていた。更に下っていると右杉林の中に古墳が一基在って入り口は柴で塞がれていた(中に入らないようにとの張り紙あり)。更に下ると墓地に出て学校や駅や庁舎が一望できた。

そこから一段下ると立派なお寺の最明寺だった。 18・最明寺(12:43) 境内には入らなかったが山門までの両脇の高い石垣は威圧感を覚えた。近代風の家や賃貸と思う建屋も目に付いたが古き時代を漂わせる家(私風の解釈で)も在りそれらが入り混じり、何処への道か分らないまま散策がてら歩いていると道の上の方でお孫さん(女5歳位)とその子のお母さんとおばあさん(70歳位)が柿を採っておられ、ほほえましい光景だと見ながら歩いていると、私に向かって笑顔で『柿いりませんかー』と声を掛けられた。『柿頂けるんですか』『なんぼでも持って帰り』そう言ってレジ袋に入れてあった柿を袋ごと頂いた。初めに「ラッキーを呼ぶきっかけ」とはこの事だった。

お礼を言って柿をかじりながら自転車置き場へ向かった。 1・自転車デポ(12:56) 車まで約5km自転車ならではの景色を楽しみながら車に着いた。この通りには無人の野菜販売所が点々とあって帰りに一個100円のキャベツを2個買って帰った。

※地圏風土で城山は497m、風土資産マップでも(16)地点にポイントが記してある。
※風土資産マップで(14)地点の572mに「寺前城跡・はめむろ」と記してある。(17)地点はノーマークであるが合わせて城山なのだろう。