№829 日笠山~牛谷地区散策 (約12.0km 内車道3.5km)



「涼しくなった、さー山歩きに行こう」私のホームグラウンド日笠山へ。今日はフェイントをかけてコースを変更。

「何時か此処を」と思い続けてやっと果たせた牛谷散策。
車に戻って地図が無い、

地図を探しに再び山へ。




◎所在地 : 何時もの所

◎地形図 : 2万5千図  『加古川(かこがわ)』 『姫路南部(ひめじなんぶ』

◎山行日 : 2025.10.6 (月) 晴れ  Age=78歳

◎参  考 :  他5回 ⑥2012.1.29 549   2012.11.21 570  

2015.3.3 623  2017.1.13 653 
 
2020,10.31 738  

2021.6.24 760  ⑫2021.10.9 763  2021.11.19 766  

2022.1.3 766  2022.3.2 769  2022.6.10 775  

2022.10.1 778  
 2022.10.29 779  2023.3.1 
787
2023.10.13 795 
 
 ㉑2024.2.29 803  ㉒2024.10.13 814

㉓2025.1.4 818    ㉔2025.4.20 825

◎山行者 : 単独

◎コースの見所など : ① コース全体歩き易くその他従来通り

◎走行距離 : 往路 ①13.3km   往復 26.3km



日笠山P(62.1m四等)P~夫婦岩~大北山(92m)~馬坂峠~赤山/雨水貯タンク(91m)~

牛谷峠(仮称)~北浜町牛谷地区散策~馬坂峠~夫婦岩~日笠山P



自宅発(10:05)~1・日笠山P(10:45~10:50)~2・夫婦岩(11:04)~

3・北山93m(11:12)~4・馬坂峠(11:22)~5・鉄塔(11:25)~

6・赤山(91m/11:47)~7・牛谷峠/仮称(11:53)~

A・愛国碑(11:56~12:03)~8・牛谷地区(12:09)~牛谷地区散策~

9・(12:15)~10・北脇隧道(12:19~)~11・(12:29)~

8・牛谷地区(12:40 昼 12:56)~12・馬坂峠入り口(13:05)~3・馬坂峠(13:13)

~2・夫婦岩(13:33 休み 13:40)~1・日笠山P(13:55)~地図探し発(14:05)~

4・馬坂峠地図見つかる(14:28)~1・日笠山P(14:53)~自宅(15:21)



体力気力筋力試しに比較対象コースの日笠山。実は9月31日(金)今にも雨が降りそうな曇天ながら日笠山へ向かう。何時ものセブンで、おにぎり買ってPに着くと雨がポツポツ、空を見上げると止みそうにない黒い雲、残念ながら引き返す。そして今日になった。何時ものように△一本松、イタチ山方面へ行くか・・・又は毎回崖の上から見て気になっている牛谷地区を散策するか・・・。どっちにするか考えながら車を走らせた。1・日笠山P(10:45~10:50)

 
1番 日笠山P 10:54         2番 夫婦岩 11:04

今日は雨の心配はないが少し暑い。道は草刈りの整備が入っていた。夫婦岩への上りで後ろから声が掛かり振り向く。見れば直ぐ分かる装いで20歳代の男性がランの人が立っていた「ランですか」「ええ」「何処まで」「一本松往復」「お気を付けて」道を譲ると直ぐに姿が見えなくなった。
2・夫婦岩(11:04)竹の丈はさらに伸びて展望は皆無。雑木の葉は黄葉に未だ遠くツクツクボウシが鳴いていた。3・北山93m(11:12)~4・馬坂峠(11:22)

 
4番 馬坂峠・南より 11:21     馬坂峠の野路菊畑 大塩側 11:21

大塩側に在る野路菊は心なしか衰退しているように感じた。ここでもツクツクボウシの声を聞く。
5・鉄塔(11:25)~6・赤山(91m/11:47)ここで柿の木とミズナラのきの紅葉が見られた。その先でランの人が戻ってこられた。「何処まで行かれましたか」「イタチ山、そこから先は草やぶっぽかったので引き返しました」「住まいはどちらですか」「曽根です」「大会に出られているのですか」「10月にたつの市の公園をS/Gで大倉山辺りで30kのレースに出ます」

 
6番 赤山 11:42           同紅葉のミズナラ

「菖蒲谷の林道などですね」「はい」「この後もう一回亀岩まで行くつもりです。また会えるかもね」「頑張ってください」
7・牛谷峠/仮称(11:53)イノシシが土を掘り返していた。牛谷へ林道を下る(4度目)途中一度寄ったことが有る立派な碑は何の碑か記憶に無かったので立ち寄る。A・愛国碑(11:56~12:03)碑の表面には「愛国碑」と彫られ、牛谷地区から戦地に赴いて戦利ないまま戦死した9人の慰霊碑だった。

 
A 点 愛国碑 南から 11:56

幅5m奥行4m高さ5m位か。碑の右裾に碑を建てた経緯が記された石板あり。
「この碑は元牛谷字天神山七二一番地の天神山標高三六米の頂上に昭和三十一年五月建設したものである。顧けみるに昭和十六年太平洋戦争起きるや、天々祖国の必勝を念じて、わが郷土牛谷を離れ遠く戦地に赴くしかるに戦利あらず遂に戦場にたおれ、郷土に再び帰らざるもの九名、哀惜の一入深し、この地はわが揺蓋なり、わが祖先墳墓の地なり、こヽに帰らざる九 裏面に戦死者の戒名と亡年・俗名・享年が彫られていた。

戦死八名病死一名・亡年は昭和十九年四月九日から昭和二十二年七月十八日までで享年は十九歳から三十二歳だった。碑の裏面下方に「昭和三十一年四月遺族健之」これから地区を地域を時代を背負って行くだろう若者が・・・。花筒の花がほぼ枯れていたので近くの青木と入れ替え手を合わせ碑から離れた。左手のお寺(浄土真宗本願寺派 牛谷山蓮教寺)墓地手前辺りは道に覆い被さる木が伐採され明るくなっていた。
8・牛谷地区(12:09)

 
8番への下り道 12:05     8番に立つイラスト絵看板 12:09 現地から日笠山約3km

ここから左折して初めての地域散策に入る。隧道のある広い道に出るまでは古い佇まいの雰囲気だった。9・(12:15)広い道は左隧道へ上り道だった。隧道入り口左に「常楽園」と言う大きな総合老人施設が在った。10・北浜隧道(12:19)そこから地区の大外回りの道を歩いたが家々は良く手入れされ気持ちよく感じたが伴った溝など公共的な物は雑草が目立った。12:24△一本松へ行くとき何時も良き展望が得られる崖を下からその見上げる。

 
10番 北浜隧道 12:19       同から桶居山(最奥尾根)方面 

 
△一本松への崖尾根を見上げる 12:24 11番地区の最深部 12:29

地図右の白い所は地区の公民館併設の「はぎ公園」。
11・(12:29)暑さを感じ乍ら歩き8番に戻りイラスト看板「日笠山~牛谷ハイキングコース」の下でおにぎり2個食べた。8・牛谷地区(12:40 昼 12:56)古い往時の面影を残す家々を見乍ら進む。(12:59)「曹洞禅宗 妙泉寺」前通過。12・馬坂峠入り口(13:05)~3・馬坂峠(13:13)~2・夫婦岩(13:33 休み 13:40)

伸びた竹の伐採を考え竹切り専用の鋸を携えていたがその余力もなくPへ向かった。1・日笠山P(13:55)帰る支度をしていると手持ちの地図が無い、ポケット、ウエストバックあちこち探したが無く疲れた心身を奮い立たせ空身(鉈・お茶持参)で地図を探しに発つ。(14:05)第一候補は夫婦岩、ここに有れば超ラッキー。最長は地図を収納したと思う12番馬坂峠入り口か4番の馬坂峠。12番まで引き返した場合は下道(車道)を歩いてPに戻ることも考えながら歩いた。夫婦岩に地図は無かった。出来るだけ早く見つかる事だけを願い乍ら歩いたが結局馬坂まで戻ることになった。4・馬坂峠地図見つかる(14:28)

不思議に「見つかるまで」と決めて歩いたせいか意外と力が湧いて地図探しの方が軽く歩けた。
1・日笠山P(14:53)2度目の9番から最後までまで誰一人会う事が無かった。久し振りの日笠山だったが案ずる程体力気力筋力は落ちていなかったが歩くスピードは落ちていると思う。しかし道の整備(落下枝や草木の刈り払い)を兼ねているので一概に比較できないところもある。自宅(15:21)


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